ルーツ 勾玉と港川人
おととい2時間かかってUPしたブログが手違いで消去!ショック。気をとりなおして書きます。
南城市まつりで斎場御嶽から発掘された勾玉が公開されるというから見に行った。
そしたら大里のミルク(弥勒)がお出迎え!
何とも言えない表情がす・て・き。ミルクというよりおじさんみたい。。。
昔の玉城シーサーとどこかのシーサー(獅子舞)
この何とも言えない笑える愛らしさは沖縄独特でツボにはまる。ムチゼーク(屋根職人)の作ったシーサーや村獅子とかの素朴で力強くおちゃめな感覚は、私の沖縄のルーツなのだ!私のシーサーの原点。。
斎場御嶽の勾玉は撮影禁止。金やひすい、ガラスなど9個。いわゆる勾玉の形より頭がちいさくて胎児みたいだった。一番大きい勾玉は筋が入った丁字頭勾玉だった。子供のころから太宰府の祖母の家の前にある歴史資料館が大好きで勾玉や土器をながめ縄文時代を夢み、小学生の卒業研究は「卑弥呼の秘密」という変わった少女だった。丁字頭勾玉や土器は北部九州で発見されてるのと同じと聞き2年前に歴史資料館に行ったらなんとその勾玉があった!!歴史を研究してるある先生は北部九州で弥生中期に縄文復興運動がおこり丁字頭勾玉はその象徴で、縄文を求め沖縄に行った人がいるという。福岡生まれで小学生から筋金入りの縄文好き、沖縄好き、貝好きの私がつながり、もしかして私の先祖がいったのか??な~んて。縄文復興なんてまさに、っていうか何千年前と同じ考えしてるのにショック・・・!全然進歩なし・・・?
またこの日は旧石器時代の港川人の骨が発掘された現場の見学会があり行ってきた。
鍾乳洞のすごい谷を降りたら、港川人の骨がそのままあった!!掘り出してる途中で、背骨なんかとても綺麗に残っていた。一万年以上たってるようには見えなかった。
なんと、縄文復興運動の象徴ごほうら貝の貝輪(腕輪)も出土!それにしても鍾乳洞のすごさに圧倒された。中も広いし風雨をしのげてすごしやすかったんだろうな。そのころの自然はどんなだったのかな。1万年ぶりに出てきたら沖縄ワールドになっててびっくらこくだろうなあ。
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